ある日のレッスン|構造的に捉える生徒さんとのレッスンで、私が見ていること

日本語上級者でとても聡明な生徒さんがいます。
物事をいつもイシューとして捉える人で、まず大きな構造として話す方です。

先日は、企業が国家のカードとして、ときに武器のように使われる、そういう事象についてディスカッションをしました。

テーマを渡すと、すぐに筋の通った意見が返ってくる。
語彙も視点もすでに十分。
このレベルになると、私が「教える」ことはほとんどありません。
役割は、教師というより、司会者やインタビュアーに近いと思っています。

していることは、こんな感じです。

会話を自然に運んで、本人が「あ、これは言いたいのに、言えない」とぶつかる地点まで連れていく。
露骨に「この言葉知っていますか?」とは聞きません。また先回りをして語彙を伝えることをもしません。

その表現がどうしても必要になる流れを、質問と傾聴で作ります。
そして、言葉に詰まったその一瞬に、初めて、その語彙や言い回しをそっと差し出します。

自分で必要を感じた瞬間に出会った言葉は、教わった言葉とは定着がまるで違います。
ですので私は、流れを設計しています。

これが、上級者レッスンの匙加減だと思っています。
準備した内容をそのまま行う授業ではなく、その場の進行がすべてです。

どこで詰まるかを話しながら読み、自然に導けるかにかかっています。

ですが、この「誘導」は、相手に気づかれた瞬間に壊れます。「試されている」と感じさせたら、もう自然な会話ではありません。

意図を消したまま、必要な場所まで連れていくその呼吸は台本にできず、いまも毎回、出たとこ勝負です。

ここが今でも私ににとって難しい部分です。

この仕事は、結局即興的な対応ができるかどうかが大きいのだと思います。

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